理系小説ー日本から理系がいなくなったら

失って初めて分かったこと

−頭脳流出の連鎖の始まり−

I.理系離れから理系欠乏症へ

1. 理系離れの進行

 20XX年、理系に進む人が激減していた。

 しかし、事態はまだ悪くなかった。「理系なんかいなくても日本は大丈夫だよ」という楽観的な見方が多かった。

 そういう社会の雰囲気を反映して、理系離れがどんどん進んでいった。

2. 理系離れから理系欠乏症へ

  20XX年、理系に進む人は、さらに激減していた。

 理系のなり手が不足し、現場では、人手不足から、文系が急場しのぎに理系の仕事を行なうことも珍しくなくなっていた。

 政府は、事態を重く見て、理系を増やそうとした。しかし、思うように優秀な理系が集まらなかった。

 集まってきたのは、理系の基礎的素養にも欠けるような人材であった。

 その頃、大学全入時代になり、理系の大学を出ても、理系の基礎的素養のない者が増えていた。

 理系の欠乏は、日本の科学技術の基礎力を急速に殺いでいった。

3. 理系流出 −頭脳流出の連鎖の始まり−

 優秀な理系が、次々と外国に頭脳流出するようになった。

 これは、日本の科学技術の水準をさらに引き下げていった。

 日本の科学技術水準はさらに下がり、日本の貿易収支は悪化した。

 しかし、理系欠乏症としては、これは序の口だったのである。

II.そして理系はいなくなった

1.理系欠乏症の進展

 理系欠乏症は、ますますひどくなっていった。

 日本は、かつての栄光にすがる衰退した国となっていた。

 理系の人気はむしろ上がってきた。日本を脱出するには理系が好都合だからである。

 しかし、理系に進んでも、いずれ外国に流出することを考える人が多くなり、日本で働く人はほとんどいなくなった。

 日本は、発展途上国ではないものの、中進国とみなされるようになった。

2.外国人労働者の大幅な解禁

 日本は、理系欠乏症の現状と、理系労働力の顕著な不足を見て、外国人労働者の大幅な解禁に踏み切った。

 しかし、優秀な外国人労働者は、他の国の方が、日本より待遇がよいことを知っていた。

 外国人の優秀な理系は、日本にはあまり来なかった。

3. 理系欠乏症の末期症状

 最初は、理系離れの兆候から始まった理系欠乏症は、末期に至って恐るべき症状をはっきりとあらわしてきた。

 日本は、犯罪率が高く、災害の復旧も遅く、事故が多発し、環境汚染が蔓延し、医療水準も低い国になっていた。

 ここに至って、理系離れの傾向は逆転し、文系離れが深刻になった。

 日本を脱出できるという保険を得るために、多くの人が文系よりも、理系を志望するようになったのである。

 ようやく日本は終焉へと近づいてきた。

 理科離れはとうとう終焉し、文科離れが始まった。それも、外国に流出するためである。

 英語、算数、理科は人気科目となり、国語と社会(特に日本史)は人気がなくなった。

3.日本から消えていく技術の火

 日本の会社は、技術系の会社はほぼ消滅した。

 残った技術系の会社でも、お金をかけて一生技術者を育て、技術を伝承しようという態度がなくなっていた。

 技術の伝承は不可能になり、年々日本の技術力は衰えて行った。

III.理系欠乏症の研究

1.歴史学者の研究

 その頃、ある歴史学者が、日本の衰退の原因を研究していた。

 理系離れから始まった理系欠乏症がその原因ではないかと考えた。

 理系の地位を向上させておけば、このようなことは起こらなかったのではないかと考えたのである。


2.理系の地位向上 −遅すぎた対策−

 そこで、理系の地位向上の対策を行なった。

 しかし、すでに遅かった。

 高度経済成長のときも、焼け野原から日本人は立ち直ったのだという声も上がった。

 しかし、グローバル化が進んだ21世紀とは状況が違っていた。

この小説はフィクションであり、特定の人物や史実との関係は全くありません。



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