理系の地位向上運動の創造性
クリエイティブな活動と
独創的な理系の地位向上運動を目指して
I.クリエイティブな活動の重要性
1. クリエイティブな活動としての理系の地位向上運動
クリエイティブな活動は、理工系の大きな喜びである。
理系の地位向上運動というと、「自分の地位を上げてくれ」と繰り返すような無味乾燥な運動と誤解する人がいるかもしれない。
しかし、理系の地位向上運動では、もっとクリエイティブな喜び、文化的な喜び、創造的な喜びに力を入れていきたい。
社会を良くするための「創意工夫」、「アイディア」、「独創的視点」という、クリエイティブな側面に光を当てていくことが重要だろう。
物づくり、技術開発、研究開発の喜びと同じ喜びを、地位向上運動でも増やしていく必要がある。
技術開発では、良い製品を作るという目的のために、創造力、創意工夫を働かせる。
地位向上運動では、良い社会を作るという目的のために、創造力、創意工夫を働かせる。
いずれも、創造的な営みである。
理工系.com及び関連サイトは、多くの人が考えない独創的な主張や視点を織り交ぜていくことを目指したい。
それは、画家が絵を描くことや、音楽家が音楽を作るのと同様、クリエイティブな活動である。
2. 社会を良くする喜びは、物づくりの喜びに比肩する
理系の地位向上運動では、世の中にないような新しい視点を作り出し、他の人が理系について議論をする際のヒントとなるアイディアを提供するというクリエイティブな活動をしていきたい。
意見や視点は、独創性を目指しているものもあるので、納得しがたいものも多くあるであろう。しかし、アイディアを出していくことにより、読者各人が気づかなかった物の見方や主張に出会う可能性も増大するだろう。
色々な意見や視点は一つの考え方、アイディアであるにすぎない。各人の価値観や考え方はそれぞれ異なるので、それぞれの価値観、考え方に応じて取捨選択してほしい。
もし、読者の方に、「そういう視点もあったのか」、「目から鱗が落ちた」、「こんな考え方も世の中にあったのか」、「こういう意見は理系の地位向上の議論に使えるぞ」、「こういう主張は今までにはなかったものではないか」などと評価されるものがあれば、存外の喜びである。これは、クリエイティブな作品を発表して評価されるのと同じ喜びであろう。
現時点では、理系の地位向上のことばかりを論じているサイトは極めて少ない。
理工系.comは、理系の地位向上を扱った多数のサイトを「理系の連帯」というコンセプトに基づいて結集していくという独創的な試みにより、理系の地位を引き上げるための意見、視点、アイディア、サイト等を集めている。
理系の地位を向上させたいと思った人が、他の人と理系の地位を向上について議論したり、社会を動かす現場で実際の政策等を議論をする際に、ヒントとなる意見、視点、アイディア、サイト等を探すことができるようにである。
もっとも、他人の考え方はあくまでもヒントであり、理系の地位向上の具体的な議論は、読者各人の創意工夫によらなければならないであろう。
3. クリエイティブな趣味としての地位向上運動のホームページ作り
クリエイティブな趣味を持つことは楽しいことである。
ある人は絵を書くのを趣味とし、ある人は音楽を作るのを趣味とし、ある人は小説を書くのを趣味とする。
ホームページやブログを作るのを趣味とする人もいる。これもクリエイティブな趣味である。
同じように、社会を良くする方法を考えるホームページを作るのは、クリエイティブな趣味である。
そして、それは社会を良くする文化的な趣味といってもよいだろう。
同時に、Webの技術を勉強することになり、技術的な趣味といってもよい。
「地位向上のためのホームページ作り」を、クリエイティブな趣味として、広めていく必要があるだろう。
多くの人が、クリエイティブな活動として楽しみながら、理系の地位向上のためのブログやホームページを作っていくことが、理系の地位向上につながっていくだろう。
4. クリエイティブな創作活動としての理系小説
クリエイティブな創作活動による地位向上運動の一貫として、理系小説を掲載している。
理系小説とは、理系の地位向上を題材とした小説である。
II.創造的な喜び自体が報酬となること
1.創意工夫を凝らすこと
理系の地位向上運動の喜びは、社会を良くするために創意工夫を凝らすところにある。
結果ではなく、その過程を楽しむことが、地位向上運動については重要となるだろう。
言い換えれば、「面白いこと」が重要である。
「理系の地位向上の活動が面白い」と思う人が増えることが、理系の地位向上につながっていくだろう。
2.「地位向上運動をやっても、自分の得にならない」という意見について
理系の地位向上運動はボランティアなので、つぎ込んだ労力、時間、お金等に見合った利益は得られない。
仮に運動が成功しても、運動をした人が投下したエネルギーを回収することはできないだろう。
運動が成功すれば社会が良くなることで誰もが利益を得るが、利益は社会全体に共有されて薄まってしまうからである。
しかし、「得」と「損」とは何かというのは、あいまいな概念である。
地位向上運動をすること自体が楽しければ、「得」ということもできるのではないか?
たとえば、プロ野球の球団を応援する人がいる。多くの人が、莫大なエネルギーをつぎ込んで、応援サイトを開設しているだろう。
そのような「応援活動」は、その人の「得になる活動」なのだろうか?
スポーツのチームを応援する人が、理系を応援することを「自分の得にならないから」という理由で拒むのはなぜだろう。
それは、「あるチームを応援したい」という思いよりも、「理系を応援したい」という思いの方が弱いからだろう。
自分にとって「損」か「得」かという考えより、理系を応援してもよいかと考えることが重要ではないだろうか。
理系地位向上の技術開発については、
理系地位向上技術開発研究所
をご覧ください
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